お釈迦様から学んだ事

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お釈迦様の教えから多くを学びましたが、人生を変えるほどの気づきとなったことがあります。私個人の生い立ちや経験の中で築かれた心の傷、トラウマとなった事は第三者には理解できない点があるとは思いますが、何かを感じていただければ幸いです。

 

ここでは私の生い立ちと心の機微について書いてみたいと思います。

 

私は大阪の西淀川区にある千船という所で生を受けました。父は鋳物職人、母は工場のパートで働いていたようです。家は貧乏で、私が3歳の頃に火災で全焼したりして暮らし向きはよくなかったと聞く。

 

私が物心つく頃、両親はよく喧嘩をしていました。父が暴力をふるい母が出てゆく。

2,3日後には帰ってくるというのが定期的に繰り返される。理由も分からず母がいなくなるので、いつか取り返しのつかない事が起きるのではという不安の日々です。

 

私が事情を理解できるようになり、お金で揉めている、父がギャンブルという遊びに狂っている事がわかった。我が家はなぜこんなに争いが絶えないのか、仲良くできないのかと声にならない怒りを我慢していた。他の家が羨ましかった。一緒に遊んでくれる優しい父がいる家庭が欲しかった。

 

私が11歳の時事件が起きる。ある夜に母がいなくなった。喧嘩してまた出て行ったんだと察する。1週間が過ぎても戻らない。様子がおかしいと悪い予感がした。1ヶ月を過ぎた頃、私はもう母は戻らないと悟った。一番恐れていたことが現実となる。

私は当時の記憶がほとんど無い。記憶障害のように穴の開いた期間で、説明のつかない精神状態だったと思う。衝動的に万引きしていたのもこの頃からだと思う。火遊びをして近所の廃材置き場を炎上させ大騒ぎになったこともある。自分が自分でない、まるで悪魔にとりつかれたようだった。

 

1年後、父が新しい母だといって連れてきた女性と再婚。相手には5つ下の女の子がいて、突然妹が出来た。こちらも混乱したが妹はもっと混乱していて、毎日心休まることがない家庭が出来た。みんな心に傷を持ち、それを相手に満たして欲しいとするだけなので、思いやりが無いのである。そんな家庭が大きな試練を迎える。半年後に父が事故で両目を失明、網膜剥離で1年間入院となる。

 

収入が途絶え極貧生活。新しい母はその怒りを私と弟に向け始める。心無い言葉の暴力、嫌がらせの毎日。無理もない、収入源は母のパート勤務だけ、貯蓄もない。親戚中から借金してやり繰りしていた。私が中学にあがると、働いて自分の事は自分でやれと新聞の折り込みの仕事を見つけてきた。時給230円で学校が終わると手伝いに行く。私以外は高校生の兄ちゃんばかり。でもここで私は可愛がられ助けられる。家にいるより楽しいのである。兄ちゃんたちは少し不良だったけど、仕事中に交わす会話が新鮮で刺激的だった。普通なら部活動で楽しい学生生活なのだが、私は中学生の3年間アルバイトの毎日でした。高校は家を出て働きながら行くと決めていたが、勉強だけはしておこうと自分らしくない生活をしていた。ところが地元の公立の進学校へ入学するという結果が、この時期の異常性を物語る。

 

さて入院した父であるが、回復したものの職を失い工場勤務を始める。少し落ち着いた頃、ギャンブル依存症が暴れ始める。同じように再婚後も繰り返される揉め事。家庭はどんどん崩壊して程なく離婚。私は高校を卒業後に進学を諦めて就職した。父と距離を置いて自分の人生を変えたかった。弟が失踪した実母を探し出し暮らし始めた。私も実母の支援の為合流して、事実上父とは絶縁状態となる。

 

就職して実母と弟の3人の生活が始まった。もめ事が絶えなかった生活から一変、平穏な新生活である。そう疑わなかったが何か違和感があった。母は父との暮らしに絶望して失踪した。これはいいとして、私と弟を捨てた事実は消えない。無言で去ってしまった事への埋め合わせが無いまま、それを聞き出せないまま時が流れる。忘れてしまえば簡単な話であるが、私にとって消せる心の傷ではなかった。どうしても心から喜べない

。そんな満たされない気持ちは父と同じギャンブルへの興味に繋がる。仕事の不満、両親への不満、生き辛い日常のはけ口がギャンブルへと向いていた。

 

バブル景気から借金が膨らみ、90年代半ばには限界を超える。仕事を辞職して返済と生活改善を試みるが、さらにどん底に落ちる。職を転々として再びギャンブルと借金の日々。出口が見えず1999年世紀末を迎えた。

 

2000年1月、私は派遣会社の面接を受けていた。すぐにでも岐阜に赴任して欲しいと言われ快諾する。母との生活から離れてやり直してみようという思いもあった。

半年間派遣社員として働き、正社員に登用されるが、勤務地が定まらない流浪の民の様な生活が続く。ただ精神的には気楽であった。借金の返済をしつつ遊ぶ余裕もあった。もう今さら結婚して家族を持つとか考えなかったし、今が楽しければいいという刹那な

 快楽で生き延びていました。家族とは連絡も取らず、過去を忘れ去る事が一番いい事だと思っていたようだ。これが10年以上も続くとは思わなかったが、人生には必ず転機が訪れる。

 

派遣会社で働いて9年が過ぎた頃、リーマンショックが起きる。会社は課長以下全員リストラとなり、私は解雇された。その頃に以前から患っていた右目緑内障が悪化して、障害者認定を受ける。再就職は障害者雇用の中で探して、現在の仕事に出会う。借金も完済してギャンブルからも離れていた。

仕事と住居が定まり落ち着いた頃、やりたかったドラムの個人レッスンを申し込んだ。

8年間ドラム中心の生活でしたが、やれなくなるまでと決めていたので、練習が困難になった時点で休止した。その頃には500万円ほど貯金が出来ていたので、もう大丈夫、家族と再会してやり直せるという思いで帰省した。15年ぶりでした。

 

ところが家族の顔を見ると、寝た子を起こした様に記憶がよみがえる。気が付いた時には自分から過去を蒸し返して母に詰め寄っていた。またしてもどうにもならない過去に苦しむ自分が許せない。

あろうことかギャンブル衝動に駆られ、競馬で逃避する昔の自分に戻っていました。

1年で貯金は無くなり借金をするようになる。止めて返済してまた再発を繰り返し、今に至る。現在は止めて1年が経過して貯蓄が少しでき始めた状態。家族とは4年ほど会っていない。

 

 

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ブッダの教えとの出会い

 

父と疎遠になり30年が過ぎた頃、1通の手紙が届く。父の息子と名乗る方からでした。遺産相続の件で相談したいという内容でした。父は私と弟から疎遠になった後、事実婚という形で家族を持ち、5年前に他界していた。その後息子は養子として姓を受け継いだが、父名義の車の廃車手続きに私たち兄弟に協力を求めてきたのです。

事務的な遺産放棄の書類だけなので協力を了解した。後日お礼を兼ねて自宅のある滋賀県に招待され、私と弟は墓参りを兼ねて訪問する事にした。

 

11月の父の命日、滋賀県の北部にある田舎町を訪問した。母は健在で妹さんとその子供が迎えてくれた。墓前に手を合わせ、用意してくれた豪華な料理でもてなしてくれた。

息子さんの話では、父は家族の為に家を建て、建築現場の監督を務めながら幸せな生涯を送ったようです。荒れ狂う父しか想像できない私には安堵の気持ちが溢れてきて、息子さんに心から感謝していた。

そして父の遺言で自宅近くで墓をたてて墓守をしているという。その時父の先祖は曹洞宗だったことを教えてくれた。

私が禅に関心を持ったのはこれが始まりとなる。

 

当時の私はドラムを休止せざるを得ない状況で、目標を失っていた。

そしてギャンブルの再発で自制心を失い途方に暮れ始める。出口が見えない中、啓発動画を見る事が増えていた。そんな中、お釈迦様、ブッダ、禅に惹かれていきました。

父の先祖が導いてくれたのかと藁をもすがる気持ちで、自宅で坐禅を始めていました。

何度も再発を繰り返しながらも諦めず、ただひたすら座り続ける。そうするしかないかのように…

 

変化は少しずつやってきました。心が冷静になると、日々の中で気づきが訪れ始める。それに逆らうことなく受け入れる。

 

ブッダの教えに生・老・病・死の苦しみは避けられないとあります。私の苦しみは生の苦しみなのだろうか。また執着が苦しみを生むとも言われます。

 

私は何に執着しているのだろう。

 

私は子供の頃から家族に執着していた。他人を羨み、自分は不幸だと思い込んでいた。

家族が仲良く楽しい事がすべてだと考えていた。

果たして本当なのだろうか

ブッダは家族を捨てて出家し、修行を重ねて悟りの境地を見出した。家族をどんなに愛していても必ず死別の苦しみは避けられないのです。愛情が深いほど苦しみは深い。

家族が仲良く楽しくても永遠に変わらないものは無いのです。むしろ愛情が深いほどに苦しまなければならない。

私はどうであろうか。父が死んだ今、それを悲しみ苦しんではいない。母はどうか、私がどう思っていようが、母には母の幸せがある。それでいいではないか。

 

私は家族が仲良くなければならないという妄想を手放せた。そう気づいた日から、憑きものが取れたように怒りや恨みが消えた気がする。

 

ありのままを受け入れ、すべてを許す事

苦しみは気づきのためにあるもので手放す事が出来る

 

同じように過去の苦しみから生き辛さを感じている方へ

少しでも参考になればと思い書き綴ってみました

 

ありがとうございます