依存症と恋愛について
私は数年前から自分の依存症について考え、様々な取り組みを経てある事に気づき始めた。恋愛感情というものがありますが、本能的なものであり自然な感情であるとともに、道を間違えると大きな苦痛となり、心の傷となる場合もある。
恋愛心理については哲学や心理学でも論じられ、広く周知されているのですが、仏教においては娯楽と定義されています。
私はこの観点からギャンブルと恋愛心理の関連性に興味を持ちました。
違う側面から依存症について考えてみたいと思います。
恋愛心理について
平穏な日常を送っていたある日、偶然の出会いから日常が崩れて非日常が始まる。思考がハイジャックされて自制が効かず、妄想がどんどん膨らみ始める。そんなときめくような世界に酔いしれ快楽に浸る。同時に思い通りにならない苛立ちや苦痛がさらなる誇大妄想を呼ぶ。快楽と苦痛が交錯しながら深みにはまる。
そんな駆け引きが続くゲームもやがて落ち着きを取り戻し、日常が戻りはじめる。思考が正常になると見えなかった世界が見え始め、我に返る。
一生の伴侶としての道、あるいは別々の道を選択して日常へと帰る。
恋愛と結婚生活が別物というのは非日常か日常の違いであり、結婚後に娯楽としての非日常を求めて不倫に走るのは日常を破壊する行為である。日常に満たされないのが原因なので生き方そのものに問題を抱えている。恋愛の非日常感や快楽からの誘惑に負けてしまうんです。
依存症との関連性
恋愛について考えてみると、日常からの逃避衝動としての行為が習慣化して依存症になる過程と似ていることに気づく。ただ通常ならばある一線でブレーキがかかり踏み込むのをためらうのだが、ブレーキがかからず一線を超えた時が問題だと思います。理由は様々あると思いますが、一線を超えると修羅場を経験して生死をさまよう事になる。自力で脱出できず苦しみ続ける人生を選ぶことになる。これが依存症だと思います。
非日常の世界に浸ると一線を超えてはいけないという判断もできなくなり、自己責任論は通用しません。
対策について
ここまでお読みいただければお気づきかと存じますが、日常を大切にすることです。
平穏で安らかな日常から心身の健康が得られ、それを感謝できるかどうかです。
依存対象が無くなっても、根本的な日常が変わらなければ同じことが繰り返されます。
そこに気づく事も平穏な日常あっての話。
求める心からは幸せは訪れない。今、与えられたものすべてに感謝する心が大切です。