依存症と恋愛について Part2

恋愛についての考え方は人それぞれあって、正しい間違いはないと思います。生き方の基本的な考え方として大切なのは言うまでもないし、人間関係の基礎となるものです。

 

誰かに教わった訳でもなく、おそらくは両親の愛情の中で自然に育まれた感情。あるいは子孫を残すという本能的なものなのかもしれません。

 

恋愛についての考え方に、お互い相容れない違ったものがあり、私は幸運にも両方の経験をさせていただきました。他人の経験や考え方から感化されて迷いながらも得られたものですが、何かの役に立つのではと記憶を頼りに書いてみようと思います。

 

 

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人生の転機に出会った人々

 

私は30代の後半に生まれ育った関西を離れた。様々な事情が重なり転職したのが理由です。心機一転やり直す気持ちだったので、環境が変わる事が背中を押してくれると思った。

 

仕事は岐阜県の工場の派遣でした。会社の借り上げ社宅が寮で、そこで4人の共同生活が始まった。様々な事情を抱えた者が暮らす生活は刺激的で楽しかった。いろんな事を語り合って、数ヶ月で家族のような存在になる。

 

4人のうち2人はとにかく明るい遊び人タイプ。これまで付き合いが無かった人種である。とにかく交友関係が広くて驚いた。特に女性関係は経験値が桁違いで、彼等の話はおとぎ話のようで興味が尽きない。

 

私は誰か1人好きになれば一途に想い続けるのが恋愛である、という固定観念があって、それが当然と思って生きてきた。それが根底からひっくり返ったのだ。

 

誰か一人を想い続けるのはいい事だけど、すごく辛い生き方じゃない?今が楽しくないと未来が楽しいなんて思えないでしょ

そう言われながら彼等の恋愛哲学を聞いていると、彼等の世界を体験してみたくなった。

 

誰か一人を大切に想う思考から、多くの人を同じ様に大切に想う接し方に変えるが、

どうしても自分の方から選抜しようとする癖は直らない。自然に任せれば合わない人は離れていき、楽しく過ごせる相手が残ってくる。私はこの言葉を信じてみた。

 

想いが強いと自分自身が素直に出せないし、相手を盲目的に見てしまい、いわゆる恋愛という異常な精神状態になる。非日常的なときめきが楽しいのも事実だが、その結末が結婚という日常に変わると、見えなかった現実を突きつけられる事になる。

 

これでは素直な気持ちで楽しく過ごせる相手を見つける事はできないだろう。そう分かり始めた頃、私は過去の考え方を捨てていた。そして以前より自然に人と接するようになり、楽しくなった。今思えば人生の転機となる。

 

依存症との関係

 

依存症はひとつの事にしか楽しさが見いだせず、どこまでものめり込んで人生を破壊して死に至る病。依存自体は問題はない。人は依存して生きているが、いろんな事に分散させる事で精神の安定を保つ。

 

私は兼ね兼ね、恋愛と依存症の関連について思うところがあった。

一つの事=一人を、盲目的に夢中になり、非日常のときめきと快楽、思い通りにならない苦痛で自分を見失いながら、現実に気づいた時=別れや結婚、落胆し苦しむ事になる。

現実につまらなさを感じ、非日常のときめきと快楽を求めて現実逃避が繰り返され人生を破壊する。

 

依存の分散=色んな人を同様に愛する事で、素直な自分で正直に生きる事ができれば、自然に楽しめる関係=人が継続する、それが結婚へと繋がる。常に日常から離れず楽しさのある生活がある。

 

結論

 

現実、日常、自分、相手を見失うと妄想や非現実の快楽や思い通りにならない闇に引き込まれる。今ここから離れてしまうと幸せは見えなくなる。

 

ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。何かを感じていただけたら幸いです。