依存症と恋愛について

私は数年前から自分の依存症について考え、様々な取り組みを経てある事に気づき始めた。恋愛感情というものがありますが、本能的なものであり自然な感情であるとともに、道を間違えると大きな苦痛となり、心の傷となる場合もある。

恋愛心理については哲学や心理学でも論じられ、広く周知されているのですが、仏教においては娯楽と定義されています。

私はこの観点からギャンブルと恋愛心理の関連性に興味を持ちました。

違う側面から依存症について考えてみたいと思います。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200815100428j:plain

 

恋愛心理について

 

平穏な日常を送っていたある日、偶然の出会いから日常が崩れて非日常が始まる。思考がハイジャックされて自制が効かず、妄想がどんどん膨らみ始める。そんなときめくような世界に酔いしれ快楽に浸る。同時に思い通りにならない苛立ちや苦痛がさらなる誇大妄想を呼ぶ。快楽と苦痛が交錯しながら深みにはまる。

そんな駆け引きが続くゲームもやがて落ち着きを取り戻し、日常が戻りはじめる。思考が正常になると見えなかった世界が見え始め、我に返る。

一生の伴侶としての道、あるいは別々の道を選択して日常へと帰る。

恋愛と結婚生活が別物というのは非日常か日常の違いであり、結婚後に娯楽としての非日常を求めて不倫に走るのは日常を破壊する行為である。日常に満たされないのが原因なので生き方そのものに問題を抱えている。恋愛の非日常感や快楽からの誘惑に負けてしまうんです。

 

依存症との関連性

 

恋愛について考えてみると、日常からの逃避衝動としての行為が習慣化して依存症になる過程と似ていることに気づく。ただ通常ならばある一線でブレーキがかかり踏み込むのをためらうのだが、ブレーキがかからず一線を超えた時が問題だと思います。理由は様々あると思いますが、一線を超えると修羅場を経験して生死をさまよう事になる。自力で脱出できず苦しみ続ける人生を選ぶことになる。これが依存症だと思います。

非日常の世界に浸ると一線を超えてはいけないという判断もできなくなり、自己責任論は通用しません

 

対策について

 

ここまでお読みいただければお気づきかと存じますが、日常を大切にすることです。

平穏で安らかな日常から心身の健康が得られ、それを感謝できるかどうかです。

依存対象が無くなっても、根本的な日常が変わらなければ同じことが繰り返されます。

そこに気づく事も平穏な日常あっての話。

求める心からは幸せは訪れない。今、与えられたものすべてに感謝する心が大切です。

 

 

ファスティングの記録 半日断食の日々

ファスティングとは断食の事ですが、断食というとイメージが堅苦しい。手軽で簡単にできて体いい事として、お伝えできればと思います。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200719094641j:plain

 

ファステイングの目的はデトックス(解毒)にあると思います。体に溜った不要物を排出するのですが、普段の生活でも尿や便、汗などで行われている事です。ではなぜファスティングが必要なのでしょうか。

 

参考記事

ファスティングとは、英語のfastという動詞(断食する ・絶食する・精進する)の名詞形。つまり、「断食」「絶食」を意味します。もともとの「断食」は宗教的な儀式や精神的修行の一形式として行われてきましたが、近年では病気の治療や健康増進として、欧米でも脚光を浴び、科学的な研究も盛んに行われるようになりました。

そして現在、アスリートや芸能人の間で話題となっている「ファスティング」は、完全な絶食ではありません。

ファスティングを行うことによって日頃休みなく働き続けている内臓に休息を与えることができ、それによって、それまでに溜め込んでいた有害物質を体外に排出することができるようになるのです。

ですから、カロリーを抑えることでのダイエット効果だけでなく、体内をリセット・デトックスし、健康な状態に戻す療法でもあるなのです。

https://allabout.co.jp/gm/gc/413461/

  

 

2020年6月1日より開始したのは半日断食という手法ですが、体への負担が少なく、効果が期待できるもので、1日のうち16時間は食べない時間を作る。主に昼と夜食べて朝食べないと決めスタートしました。

体組成計を使用して数値的な変化や、実際の体感として得られたことを定期的に報告していこうと思います。

 

では体組成計の測定値ですが、開始してひと月後の7月1日と7月30日の結果です。血圧はついでに計っています。

          7月1日          7月30日

  血圧      121-74                 114-72

  体重      59.5㎏  前月比ー2.6㎏    57.9kg

  体脂肪率    22.2           20.4

  内臓脂肪レベル 7             6       

  骨格筋率    35.3           36.7

  体年齢     39              36

       基礎代謝    1451kcal         1436kcal     

  BMI       22.7           22.1

 

開始1ヶ月間で体重が2.6kg減量して、他の数値も良好です。ひと月平均-2.1㎏ペースで停滞なし。

 

 

体感として得られた効果について

 

 食事への満足度の向上。味覚が変わった感覚があり、少量でも満足できる。甘いも

 のやスナック菓子などへの欲求がなくなる。

 

 空腹時の感覚が変わる。10時間を過ぎた頃からの苦痛がなくなる

 

 倦怠感が無く、覚醒したような集中力の向上

 

 睡眠の質が向上して、寝つき目覚めが良くなる。4~5時間の睡眠でも満足感が得ら

 れる。

 

 体の肌質の変化を感じる。何年も消えなかった足のすねのアザが綺麗に治った。

 

 1日2食に減った事で食費の削減、時間の活用ができる。

 

 以前よりも増して気分が落ち着き、感情が安定している。思考が前向きで今やる事に

 集中できている。

 

 寝てる時、リラックス時にお腹がよく鳴り、良く動くようになった。便秘が解消し

 てすっきり爽快。

 

 

8月度に取り組んでみたい事

  • 朝食抜きから夕食抜きに変更してみる。睡眠時の消化を避けてみるとどうなるか
  • 1日2食から1日1食への挑戦。週に1日休日にやってみる。

 

 報告は以上になりますが、効果は体感に基づくもので医学的な根拠は言及してません。参考程度にご理解いただければ幸いです。

尚、ファスティングについては、すべての方に有効であると断言するものではありません。体質的に効果が無い方や不向きな方もいますのでご注意ください。

 

  

 

 

 

 

 

 

痛みについて

叩かれたりぶつけたりすると痛いですよね。当たり前ですが、これはたいへん重要な事なんです。この痛みについての考察を書いてみたいと思います。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200724174745j:plain

 

 遺伝性の神経疾患で無痛無汗症(むつうむかんしょう)という病気があります。病名のとおり痛覚が働かないために痛さを感じず、汗をかけないために体温調節ができない先天的な病気です。

症状は骨折ややけどをしてもまったく痛みの感覚がない場合や、少しは発汗できたり、痛覚がある場合など、個人差があります。発汗や痛みを司る神経は、健康や生命を守るために大切な働きをしています
多くが生後数か月で発見され、歩くようになって行動範囲が広がると、骨折やねんざ、脱臼、やけどなど、ケガが多くなります。ケガをしても本人は痛みを感じないため、そのまま走り回って悪化するといった場合もあります。痛みや違和感を避ける自然の反応ができないため、ケガを招きやすいのです。

汗をかかないので、夏は熱中症に、冬は低体温に気をつけなければなりません。やけどや凍傷を予防し、皮膚の保湿や保護にも普通以上に注意が必要です。

 

このように痛みは生命を守る為に欠かせない感覚なのです。

さてここで考えてみたいのは、心の痛みや苦しみはどうなのかという話です。

 

様々な悩みやストレスによって心の痛みや苦しみは生まれますが、生きていく上で大切なものではないでしょうか。思いとどまる、考え直す、言葉や行動を変えるというのは痛みや苦しみが無いとやろうともしない。反省という事も無いでしょう。

新しい発見や気づきもなく、成長というものが無い人生。そんな人生が楽しいのでしょうか。苦しみがあるから喜びも大きいはずです。人が感動できるのは痛みや苦しみを知り、乗り越えた時にこそ得られるものです。

 

しかし人はそんなに強いものではありません。苦しみに押しつぶされて病んでしまう事もあります。体の痛みも限界を超えると壊れてしまうように、心も壊れてしまいます。限界を知るための経験なのですが、事故はいつどこで起きるかわかりません。

 

普段からストレスへの備えと対処法を意識しておく必要があります。一人で対処出来ない事は他人に頼る事、遠ざけたり逃げることも必要です。これは情けない事とか恥ずかしい事として親や学校、社会から洗脳されて生きてきた方には受け入れられないかもしれませんが、命を落とす危険な状態にまで自分を追い詰める事になりかねません。痛みや苦しみを受け止めて戦うのではなく、身を守るという行動は大切な事です。自分を過信しすぎると傲慢になり孤立して心を病み、自ら命を絶つという結果を招く事も考えられます。

 

心の痛みを感じない方や違う感じ方をする方、サイコパスという例外的なものをのぞいて、心の痛みは大切ですし、扱い方は慎重にしないと命に関わるという話をまとめてみました。ちゃんと向き合って上手に付き合う事ができれば、人生が豊かに楽しくなるものです。最後に協調できる力、自立して生きる力は心の痛みを乗り越えてこそ得られると信じたいです。

 

 

足るを知るという事

仏教の言葉で知足(ちそく)というのがある。満足する事を知りなさいという事ですが、簡単な話ではありません。

 

私の経験の中で感じた事、気づいた事を書いてみたいと思います。

 

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200724091636j:plain

 

最初に満たされるという話から考えてみる。欲しいものが手に入る、夢が叶う、他人に認めてもらう、愛されるといった願望が達成された時に感じる充実感。これらは欲といわれるものですが、尽きる事がない渇望が生まれたり、満たされなかった場合は苦しみを生みます。自分ではどうにもならない結果や他人の評価に振り回されて、永遠に満たされることはありません。

 

同じ欲でも生きる為に必要なものがある。食欲、睡眠欲、性欲といった三大欲求に代表されるものなど。これらが満たされると生きる喜びを感じるものです。この喜びを深く感じると感謝が生まれ満足感に満たされる。問題は深く感じられないと不満が生まれるという事。

 

満たされるという観点から前者は手放すべきものと分かるが、簡単な話ではない。満たされてないと執着が生まれてしまうからです。私は生きる喜び満足感を高める事に突破口があると感じていた。でもどうしたらよいのかわからない。

 

子供の頃にはよく食べ、よく寝て、遊んで生きてるだけで楽しかった記憶は無いだろうか。思春期の頃は女の子と手をつないだだけでも舞い上がっていた。若いころは心と体が健康で元気だからと思います。

大人になると不規則な生活習慣や食生活を繰り返して心も体も弱ってきます。ストレスに弱くなり感受能力も落ちてくるし、睡眠の質も悪くいくら寝ても疲れが取れない。生きててつまらないと感じると他の欲で満たそうと執着が生まれて、ますます生き辛くなる。

 

まず心と体を元気にする為、生活習慣を見直す。特に食事は重要で体に良いと言われるものを取ってみる。生きる事が楽しく満足感が得られることを目標にしてみる。

 

食事が美味しい、目覚めた時に生きてる事を実感できる。人との触れ合いが楽しい。

 

これだけ満たされたら十分に幸せなのである。

そして幸せな日々を積み重ねていけば、夢も叶うと思います。

 

知足とは、僅かな欲で足りる事を知るという事です。

お釈迦様から学んだ事

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200717191550j:plain


お釈迦様の教えから多くを学びましたが、人生を変えるほどの気づきとなったことがあります。私個人の生い立ちや経験の中で築かれた心の傷、トラウマとなった事は第三者には理解できない点があるとは思いますが、何かを感じていただければ幸いです。

 

ここでは私の生い立ちと心の機微について書いてみたいと思います。

 

私は大阪の西淀川区にある千船という所で生を受けました。父は鋳物職人、母は工場のパートで働いていたようです。家は貧乏で、私が3歳の頃に火災で全焼したりして暮らし向きはよくなかったと聞く。

 

私が物心つく頃、両親はよく喧嘩をしていました。父が暴力をふるい母が出てゆく。

2,3日後には帰ってくるというのが定期的に繰り返される。理由も分からず母がいなくなるので、いつか取り返しのつかない事が起きるのではという不安の日々です。

 

私が事情を理解できるようになり、お金で揉めている、父がギャンブルという遊びに狂っている事がわかった。我が家はなぜこんなに争いが絶えないのか、仲良くできないのかと声にならない怒りを我慢していた。他の家が羨ましかった。一緒に遊んでくれる優しい父がいる家庭が欲しかった。

 

私が11歳の時事件が起きる。ある夜に母がいなくなった。喧嘩してまた出て行ったんだと察する。1週間が過ぎても戻らない。様子がおかしいと悪い予感がした。1ヶ月を過ぎた頃、私はもう母は戻らないと悟った。一番恐れていたことが現実となる。

私は当時の記憶がほとんど無い。記憶障害のように穴の開いた期間で、説明のつかない精神状態だったと思う。衝動的に万引きしていたのもこの頃からだと思う。火遊びをして近所の廃材置き場を炎上させ大騒ぎになったこともある。自分が自分でない、まるで悪魔にとりつかれたようだった。

 

1年後、父が新しい母だといって連れてきた女性と再婚。相手には5つ下の女の子がいて、突然妹が出来た。こちらも混乱したが妹はもっと混乱していて、毎日心休まることがない家庭が出来た。みんな心に傷を持ち、それを相手に満たして欲しいとするだけなので、思いやりが無いのである。そんな家庭が大きな試練を迎える。半年後に父が事故で両目を失明、網膜剥離で1年間入院となる。

 

収入が途絶え極貧生活。新しい母はその怒りを私と弟に向け始める。心無い言葉の暴力、嫌がらせの毎日。無理もない、収入源は母のパート勤務だけ、貯蓄もない。親戚中から借金してやり繰りしていた。私が中学にあがると、働いて自分の事は自分でやれと新聞の折り込みの仕事を見つけてきた。時給230円で学校が終わると手伝いに行く。私以外は高校生の兄ちゃんばかり。でもここで私は可愛がられ助けられる。家にいるより楽しいのである。兄ちゃんたちは少し不良だったけど、仕事中に交わす会話が新鮮で刺激的だった。普通なら部活動で楽しい学生生活なのだが、私は中学生の3年間アルバイトの毎日でした。高校は家を出て働きながら行くと決めていたが、勉強だけはしておこうと自分らしくない生活をしていた。ところが地元の公立の進学校へ入学するという結果が、この時期の異常性を物語る。

 

さて入院した父であるが、回復したものの職を失い工場勤務を始める。少し落ち着いた頃、ギャンブル依存症が暴れ始める。同じように再婚後も繰り返される揉め事。家庭はどんどん崩壊して程なく離婚。私は高校を卒業後に進学を諦めて就職した。父と距離を置いて自分の人生を変えたかった。弟が失踪した実母を探し出し暮らし始めた。私も実母の支援の為合流して、事実上父とは絶縁状態となる。

 

就職して実母と弟の3人の生活が始まった。もめ事が絶えなかった生活から一変、平穏な新生活である。そう疑わなかったが何か違和感があった。母は父との暮らしに絶望して失踪した。これはいいとして、私と弟を捨てた事実は消えない。無言で去ってしまった事への埋め合わせが無いまま、それを聞き出せないまま時が流れる。忘れてしまえば簡単な話であるが、私にとって消せる心の傷ではなかった。どうしても心から喜べない

。そんな満たされない気持ちは父と同じギャンブルへの興味に繋がる。仕事の不満、両親への不満、生き辛い日常のはけ口がギャンブルへと向いていた。

 

バブル景気から借金が膨らみ、90年代半ばには限界を超える。仕事を辞職して返済と生活改善を試みるが、さらにどん底に落ちる。職を転々として再びギャンブルと借金の日々。出口が見えず1999年世紀末を迎えた。

 

2000年1月、私は派遣会社の面接を受けていた。すぐにでも岐阜に赴任して欲しいと言われ快諾する。母との生活から離れてやり直してみようという思いもあった。

半年間派遣社員として働き、正社員に登用されるが、勤務地が定まらない流浪の民の様な生活が続く。ただ精神的には気楽であった。借金の返済をしつつ遊ぶ余裕もあった。もう今さら結婚して家族を持つとか考えなかったし、今が楽しければいいという刹那な

 快楽で生き延びていました。家族とは連絡も取らず、過去を忘れ去る事が一番いい事だと思っていたようだ。これが10年以上も続くとは思わなかったが、人生には必ず転機が訪れる。

 

派遣会社で働いて9年が過ぎた頃、リーマンショックが起きる。会社は課長以下全員リストラとなり、私は解雇された。その頃に以前から患っていた右目緑内障が悪化して、障害者認定を受ける。再就職は障害者雇用の中で探して、現在の仕事に出会う。借金も完済してギャンブルからも離れていた。

仕事と住居が定まり落ち着いた頃、やりたかったドラムの個人レッスンを申し込んだ。

8年間ドラム中心の生活でしたが、やれなくなるまでと決めていたので、練習が困難になった時点で休止した。その頃には500万円ほど貯金が出来ていたので、もう大丈夫、家族と再会してやり直せるという思いで帰省した。15年ぶりでした。

 

ところが家族の顔を見ると、寝た子を起こした様に記憶がよみがえる。気が付いた時には自分から過去を蒸し返して母に詰め寄っていた。またしてもどうにもならない過去に苦しむ自分が許せない。

あろうことかギャンブル衝動に駆られ、競馬で逃避する昔の自分に戻っていました。

1年で貯金は無くなり借金をするようになる。止めて返済してまた再発を繰り返し、今に至る。現在は止めて1年が経過して貯蓄が少しでき始めた状態。家族とは4年ほど会っていない。

 

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200718182338j:plain

 

ブッダの教えとの出会い

 

父と疎遠になり30年が過ぎた頃、1通の手紙が届く。父の息子と名乗る方からでした。遺産相続の件で相談したいという内容でした。父は私と弟から疎遠になった後、事実婚という形で家族を持ち、5年前に他界していた。その後息子は養子として姓を受け継いだが、父名義の車の廃車手続きに私たち兄弟に協力を求めてきたのです。

事務的な遺産放棄の書類だけなので協力を了解した。後日お礼を兼ねて自宅のある滋賀県に招待され、私と弟は墓参りを兼ねて訪問する事にした。

 

11月の父の命日、滋賀県の北部にある田舎町を訪問した。母は健在で妹さんとその子供が迎えてくれた。墓前に手を合わせ、用意してくれた豪華な料理でもてなしてくれた。

息子さんの話では、父は家族の為に家を建て、建築現場の監督を務めながら幸せな生涯を送ったようです。荒れ狂う父しか想像できない私には安堵の気持ちが溢れてきて、息子さんに心から感謝していた。

そして父の遺言で自宅近くで墓をたてて墓守をしているという。その時父の先祖は曹洞宗だったことを教えてくれた。

私が禅に関心を持ったのはこれが始まりとなる。

 

当時の私はドラムを休止せざるを得ない状況で、目標を失っていた。

そしてギャンブルの再発で自制心を失い途方に暮れ始める。出口が見えない中、啓発動画を見る事が増えていた。そんな中、お釈迦様、ブッダ、禅に惹かれていきました。

父の先祖が導いてくれたのかと藁をもすがる気持ちで、自宅で坐禅を始めていました。

何度も再発を繰り返しながらも諦めず、ただひたすら座り続ける。そうするしかないかのように…

 

変化は少しずつやってきました。心が冷静になると、日々の中で気づきが訪れ始める。それに逆らうことなく受け入れる。

 

ブッダの教えに生・老・病・死の苦しみは避けられないとあります。私の苦しみは生の苦しみなのだろうか。また執着が苦しみを生むとも言われます。

 

私は何に執着しているのだろう。

 

私は子供の頃から家族に執着していた。他人を羨み、自分は不幸だと思い込んでいた。

家族が仲良く楽しい事がすべてだと考えていた。

果たして本当なのだろうか

ブッダは家族を捨てて出家し、修行を重ねて悟りの境地を見出した。家族をどんなに愛していても必ず死別の苦しみは避けられないのです。愛情が深いほど苦しみは深い。

家族が仲良く楽しくても永遠に変わらないものは無いのです。むしろ愛情が深いほどに苦しまなければならない。

私はどうであろうか。父が死んだ今、それを悲しみ苦しんではいない。母はどうか、私がどう思っていようが、母には母の幸せがある。それでいいではないか。

 

私は家族が仲良くなければならないという妄想を手放せた。そう気づいた日から、憑きものが取れたように怒りや恨みが消えた気がする。

 

ありのままを受け入れ、すべてを許す事

苦しみは気づきのためにあるもので手放す事が出来る

 

同じように過去の苦しみから生き辛さを感じている方へ

少しでも参考になればと思い書き綴ってみました

 

ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

旅行について

旅行というと私は必ず一人旅です。

最小限の荷物をまとめて、ほとんど予定は立てず、行先きと初日の宿泊先だけ決めたら準備完了です。

 後は気の向くまま、その時々で行動が決まる。誰かと一緒だとそうはいかないから、旅の醍醐味が味わえない。

 

私は集団行動が苦手で、普段ストレスを感じてるせいもあり、解放感に浸りたいのだと思っていた。

 一人で旅をしていると沢山の出会いがある。一人だから余計に声をかけたりするのかもしれないが、一人になりたいはずなのに不思議だ。

同じように一人で旅をしている方と出会うこともある。声をかけると似た者同士の親近感が止まらない。話が弾んで少しの間同行することも珍しくない。

 

見知らぬ所で予期せぬ出会いがある。そんな旅の中でも忘れられない経験がある

ここで微かな記憶を辿りながら思い出してみたい。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200629091704j:plain山陰の小京都、津和野

 

社会人になって初めての夏休み、といっても9月14日からの5連休だった。

交代勤務の仕事だったし友人が少ないので、一人で知らない所へ旅をすることに決めた。

 行先を大阪からそう遠くない萩・津和野にし、夜行列車に乗りたいという理由で深夜に出発する。山陽本線で小郡(現新山口)まで行き山口線に乗り換えて津和野に向かう。

 

津和野に近づいた頃、ようやく夜が明け始めた。車窓からは真っ白で何も見えない。

どういう事なのか混乱しながらも早朝の心地よさに身を任せる。

やがて明るくなるにつれ朝もやがかかっている事に気づいた。少しずつゆっくりと景色が現れはじめ真っ青な空が見えた時 、眩しいほどの色彩に心奪われる。

 

素晴らしい歓迎を受けて津和野に到着する。山に囲まれた盆地で古い町並みが続く。

町のいたるところに堀があり無数の鯉が優雅に泳いでいた。

美しい町並みと澄み切った空気、異国の情緒すら感じる世界に魅了されていた。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200710105055j:plain

 

観光気分を満喫して昼食をとる頃には観光客が多い事に気づいた。秋分の日が重なる三連休だった 事にようやく納得したが、今夜の宿泊が未定だったので急いで観光案内所を訪ねる。これが意外な展開となる事に知る由もない私だった。

 

職員さんに宿泊希望を伝えると電話で探してくれる。案の定どこも満室で空きがない。ようやく見つかったのは民宿でした。相部屋でよければという条件です。旅慣れない私は状況も理解せず有難く予約させていただき、安堵する。

 案内された場所へ行くと小さな民宿で、今は名前も忘れて思い出せない。家族経営で優しそうなご主人が出迎えてくれた。部屋に案内されると8帖ほどの部屋で、すでに二人が先に来ていた。挨拶をかわして話を聞くと、九州から二人で来たという。年は私と同じくらいで、人当たりの良さそうな感じで安心する。主人の話では後二人来るようだ。

 

夕方には二人加わり五人が揃った。後の二人は少し年配で旅慣れた兄さん風でしたが、同じ関西だったせいもあり、すぐに打ち解けてしまう。入浴後は全員が集まり同じ食卓を囲む。別の部屋には女の子がいたようで華やいだ夕食になった。まるで大家族と食事してるような気分まで味わえた。

夕食後はお酒が加わり宴会となる。ご主人がカラオケを用意してくれ、知らぬ者同士が飲めや歌えの楽しいひと時を過ごしていた。

朝から夜までいろんな事があり、夢のような一日が終わり、相部屋である事もすっかり忘れて熟睡していました。

 

一夜明けて翌朝、山口線には蒸気機関車がまだ現役で走っています。これが観光名物であるが前日うっかり見逃してしまった。今日こそは早めに陣取って見届けたかった。

 昨日の友と別れの挨拶を交わし、民宿の主人にお礼を言い、寄せ書き帳に何か忘れたけど書き残し意気揚々と出発する。午後は萩へ向かい宿泊するので早急に予約を済ませた。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200710133233j:plain SLやまぐち号が来た。黒い煙、圧倒的な存在感です。蒸気機関車は熟練のメンテナンスが必要で後継者がいなくなると存続の危機に瀕する。現在も尚、運行が継続されていると知り、いつまでも大切に守って欲しいと思います。

 

SLを見届けた私は次の目的地、萩市へと旅立つ。津和野の思い出は数年後、再び訪れる事になるほどの経験でした。旅の記事は機会があればまた書いてみたい。

萩の思い出や数年後の再訪問についても

 

今回は津和野という事でまとめてみました。旅に興味のある方や昭和のレトロな旅情がお伝え出来たら幸いです。

 

 

 

 

晴耕雨読の日々について

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200626211045j:plain

晴れた日は田畑を耕し、雨の日は家にこもり読書する。

世間のわずらわしさを離れ心穏やかに暮らす事。

 

わずかな欲で足りることを知り、迷わず、振り回されず、

今をありのままに生きる事。

 

平穏な幸せが何よりである。

 

晴耕雨読の生活についての私なりの解釈です。

 

3年ほど前にブッダや禅について興味が湧き調べ始めた。

事の始まりは父が他界した時に遡る。

 

父方の菩提寺、先祖のお墓の寺が曹洞宗であることを知る。 

この時に曹洞宗禅宗であるとわかり興味を持つ。

 

父は波乱万丈な人生であったが、私もその遺伝子を受け継いで、

負けず劣らずの人生真っ只中であった。

 

過去の恨みや怒りが払拭できず、心が晴れない日々。

生い立ちや環境、他人のせいにして逃げてばかりの人生です.

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200626220837j:plain



ブッダや禅の教えに触れた瞬間、私の体に化学変化が起きたような感覚だった。

とにかく手当たり次第に調べた。生き辛さを何とかしたい一心です。

 

最初は精神修養の坐禅瞑想に取り組みだした。坐禅会に参加したかったが遠方で叶わず、自宅で一人、半信半疑で始める。

 

すると少しづつ生活が落ち着いてきて、身の回りの事が出来るようになる。

身の回りが整うと、心がさらに落ち着き、さらにいろいろ出来るようになる。

 

気が付くと居心地のいい家、自分の居場所がそこにあった。

外食ばかりだった食事も、体調面を考えて自炊するようになり、

腸活を学び始めた。

 

食事が変わると生活習慣はさらに激変することになる。

腸活からの学び、腸内細菌発酵食品オーガニックへと関心は広がる。

 

ここで断食という究極の肉体改造法に出会う。簡単にまとめると

  • 内臓を休ませをることで内臓元気
  • デトックス効果
  • 腸内環境の改善で免疫力を上げる
  • ケトン体効果で脂肪を消費させるダイエット効果
  • 高血圧、糖尿病予防
  • アンチエイジング効果
  • 集中力の向上、睡眠の改善、精神の安定効果

 

今、半日断食を実践中ですが、1か月経過して驚きの日々を実感しています。

尚、気虚体質の方など断食に不向きな方もいるようです。ご注意ください。

 

f:id:YoshiSeikuudokunohibi:20200626234755j:plain

 
ここで晴耕雨読の日々について話を戻します。
平穏な生活とは何でしょうか。私なりに取り組んだことをまとめてみました。
 
ストレスに強くなる一番の方法は、いろんなことに反応して感情に振り回されない、
小さな欲で足りる事を知るというブッダの教えにあります。
 
穏やかな生活には安らぎと豊かさがある。今ここにある大切なものを少しずつ感じながら生きていきたいと思う。
 
読んでいただいた方に感謝申し上げます。
少しでもお役に立てたら幸いです 。
 
今後まだまだ精進を重ねていきたいと思います。